私が田舎に移住する前に、都内で開かれていた移住者説明会に参加した時の話です。
私たち夫婦は、妻の実家へのUターン組だったので移住することを決めていたのですが、移住者説明会に参加されている市の移住課の人をご紹介いただいていたので、ご挨拶にと伺いました。
そこではすでに移住をして活動をされている方が、その市のアピールポイントなどを紹介していたのですが、そこで聞いた一つの話がちょっと納得いかなかったのです。
移住者説明会の感想
私たちが行ったのは東京有楽町で開かれていた移住者説明会です。
各移住者さんのお話が終わった後に、テーブルには各地の名産品(お菓子)が運ばれてきて、おやつを食べながら移住課の方に相談ができるというような流れでした。
移住先の宮城県のいくつかの市町村のブースがあり、到着したときにはすでに私たちが移住する予定の市の移住者の先輩がお話しされている最中でした。私はその方の話の中で少し引っかかった所がありました。
その方の住んでいる地域の良いところは「何もない所」と仰っていたんです。
自然がいっぱいなのは当たり前として、それ以外は何もない。だからこそ良いんだと。
正直、この時は「自然しか良いところがない」と言っているようで、移住者予備軍に話す内容としては少し物足りなさを感じました。
自然の豊かさを伝えるならまだしも「何もないのがいい」というのは、ちょっと「もう少し良いところを探す努力をした方が良いんじゃないの?」と思ったわけです。
実際に自分が移住して、伝える側に立って気付く
「田舎暮らし&移住」というのは、多くの人にとって興味のあるコンテンツのようで、移住してからメディアの取材の依頼を受けることが増えました。
そこで毎回聞かれるのが「〇〇市(田舎)の良いところはどこですか?」という質問。
移住者説明会では先輩移住者さんの話を聞いて「もっといいところ探そうよ」なんて思っていた私ですから、「今住んでる田舎の良いところは”自然が沢山あるところ”です」なんてありきたりすぎて答えたくないのです。
でも正直、田舎の良いところって「自然の豊かさ」「食べ物の美味しさ」とかしか思いつかないんですよね。
私に取材依頼を下さる地元の新聞社やメディアとしては、地元の良さをアピールするために移住者に良いところを聞き出したいところでしょうけど、頭をひねって自分が田舎で暮らしている理由を探しても、「自然豊かな暮らし」以外に出てこない。
でも、”自然”ってどの田舎も持っている武器だし、移住施策が「自然の豊かさゴリ押し」だと効果は目に見えていますよね。差別化ができませんし、他所よりももっと自然を良くしようと思って手を加えられるものでもない。
もちろん、その自然の豊かさや食べ物の美味しさというのは、人によっては都会の便利な暮らしよりも価値のあるものになる場合があるので、田舎での生活が経済的にも合理性があると感じる人にとっては自然ゴリ押しでもいいのかもしれません。
ただ、移住者を増やす施策を考える方の立場になって考えてみると、自然以外にアピールするものがないというのは、なかなか難しいなと感じてしまいました。
以前「田舎で子育てをするメリットとデメリット」という記事でも書きましたが、田舎特有のメリットとデメリットは細かく挙げるといくつか出てきます。
ただ、移住を促進したいのであれば、やはり自治体レベルで「田舎ならではの自然豊かな暮らし+α」の”+α(プラスアルファ)”の部分が作れると、もっといいのになと感じました。
田舎に移住してみて感じた「田舎の良さ」とは
何度か住む町(田舎)の良いところを聞かれて考えてみると、都会に住んでいた時よりも「情報ではなく感覚で季節の変化を感じられる」ということに気が付きました。
どういうことかというと、
都会の季節の変化って、いつも「ちょっと先取り」なんです。
それは、都会ではテレビコマーシャルやデパートのショーウィンドウなどで、季節の変化を無理やり感じさせられているために、季節の変化を肌で感じる前に、目や耳から「もう少しでこの季節きますよ~」ってフライングして情報が入ってきます。
商業的な理由で、
9月に入るとハロウィンの仮装道具が売られはじめ、
11月頃にはクリスマスケーキやおせちの予約のポスターを見かけるようになり、
年が明けるとバレンタインがらみでチョコレートを見かけるようになります。
都会を歩くと、自分の実感よりも少し早くイベントを知らされ「もうすぐそんな季節かぁ」と1か月ほど早くその時期を「お知らせ」されます。
しかし、田舎で生活すると季節の変化は常に「同時かちょっと遅れて」やってきます。
私の住む地域では、田んぼに水がはられ、稲穂が実り頭を垂れ、刈り取られてねじりほんにょが出来上がって季節の移ろいを感じます。
畑で採れる野菜も、トウモロコシが終わり、キュウリやナス、トマトも収穫を終えて夏野菜の旬が終わり、カボチャや柿、栗、サツマイモが採れ出して秋を知ります。
ホタルを見て夏の始まりを感じ、マガンが飛来し秋を感じ、白鳥が来て冬を知ります。
田舎にいると、食べ物や気候、その土地に住む生き物から季節を感じやすく、いつもその季節が始まってから「もうこんな季節か」と気づきます。
元々マーケティングをしていた身からすると、商業ベースの季節感を知ることも大切なのは理解していますが、日々の暮らしをするうえでは「田舎の季節感」というのは何物にも代えがたい大切な感覚です。
つまりこれって、先輩移住者さんが話していた「何もないからこそ感じられる感覚」なのかもしれません。
もちろん都会にも緑豊かな場所もあり、こういう季節の感じ方が不可能だと言っているわけではありません。
しかし、やはり実際に都会から移住して感じる違いは、物質的な豊かさよりもストレスの無さだったり、毎日の暮らしの中で感じるちょっとした変化が嬉しかったり、そういうちいさな事が嬉しく感じられるような心の余裕にあるように思います。
そんな風に感じることが出来た私は、やはり都会の情報量・人・物の多さに多少なりとも疲弊していたんだなと気付かされましたし、
「情報が少ない・物が少ない・人が少ない」って、人によってはメリットでもあるという事が理解できました。
まとめ
田舎の良さは「自然」と一言で言ってしまうと、「そんなの当たり前じゃん!」と返されてしまいますが、「自然がある良さとは?」と考えた時に、「情報よりも感覚が優位になる」という一つの結論に達しました。
あふれる選択肢を制限して、あるものを駆使して楽しむ。
あふれる情報を制限して、自分の頭・感覚を研ぎ澄ませて考える(感じる)。
色々な物・情報がありすぎる世の中で、何もない田舎に移り住むというのは、情報や人に疲れた人たちにとっては、十分すぎる理由があるのかもしれません。
そういう色々と”過剰”な都会に疲れた人に対して田舎のメリットを提案できると、「自然しかない」という事がメリットになるのかもしれない、そう感じました。